情報は誰のもの?
私は今までいろいろな勉強会に
参加してきました。
講師の方によって
考え方はそれぞれで
勉強した事はどんどん記事にして
拡散して欲しいという方と
感想だけ書いて
内容は記事にするなという方もいます。
内容を書かれていると
お客さんが来なくなるという心配が
あるのだろうと思いますが
内容を知って興味が沸き
自分も学びたくなるというメリットも
あると思います。
情報って どこからが自分のものなんでしょう?
私が勉強して講座を開くのも
更に上の講師の方から学び、本から学び
他から情報を得て 混ぜ合わせたものです。
更に上に講師の方もいろんな本を読み
いろんな人から情報を集めたものであり
自分で生み出したものではありません。
違いと言えば、学びの量と理解度なのでは
ないでしょうか?
仏陀の教えも弟子たちがひろめたものです。
仏陀が他の誰かに口外するなと
言っていたら、仏教は残っていなかったでしょう。
情報や智恵は
語り継がれるもの。
だから、今も残っている。
情報は誰もが得る権利がある。
特に貧しい人ほど学びは必要だと思うのです。
もし、自分が学んだ事を記事にしなかったとしても
この時代、検索をかければ 沢山の良心的な人が
知識や情報を共有しています。
お金を払わなければ
何ひとつ教えない。
己の貧しき心が金銭的な貧しさに
繋がっていくのだと思います。
仏教の六波羅密行の一つ目は「布施」です。
お坊さんにお布施する事ではありません。
お金持ちはお金を
学者は学問を
技術者は技術を
何も持たぬ者は優しい気持ち
を施しましょうと教えています。
仏教を学んで知識を得ても
実行できない人は
お金を勘定するだけの
人生で終わるのです。
0コメント